Vocal Consrt Tokyoでは言葉を歌うという基本を大切にしている。私達は「音楽は言葉を生かす手段」というコンセプトで演奏会に臨みます。言葉へのアプローチの一例をここに紹介します。
=音楽的発想の原点は言葉にある=
私達が言葉を歌うと言う時、発音や音程の正確さは必要条件であるが、ひとつの詩のフレーズをメロディーとして音楽的に表現するためには、それだけではそのフレーズの内容や表情は伝わらない。メロディーを形づくっているのは個々の音ではなく、ひとつの単語のつながり方であり、たとえ一個一個の正確な発音で単語を並べても文章全体の意味は伝わってこない。意味を持った文章を歌にする場合、そこには必ず読んだり話したりする時と同じ様に言葉のつながり、強調、文法的なルールを無視する事は出来ない。演奏とは、音楽の役割は詩や文章が表現している情景、感情の流れ、メッセージを音楽的要素(音程、リズム、ハーモニー)を駆使して人々に伝えることにある。ドイツ語圏の人々が普通に話すように当たり前に歌っているのに対して、私たち日本人は単語の意味もわからず音程と発音だけで歌っているのはもう止めにしたいものである。
ドイツ語の詩を朗読したり、セリフとして感情や気持ちと一緒に人に伝える上で参考になるのが、Jan Hillesheim氏が著した「口が覚えるドイツ語」(三修社)である。ドイツ語の文章の特徴やその話し方を学ぶことは、ドイツ語歌唱にとって基本的なことであり、言葉を歌うことでは必須のことであると思う。
文章の基本的構造のポイントは以下の3点である。
- ① ほとんどの文章は、意味のまとまりのある単語のグループから構成されており、その内で1単語のみがアクセントをもつ。
- ② 単語のグループのアクセントは通常、名詞に置かれる。特別な強調の場合は、形容詞や冠詞に置かれる。
- ③ 冠詞・前置詞と名詞は間を開けずに一緒に発音される。
今回、Vocal Consort Tokyoが取り上げる曲を例として、有機的な音楽的フレーズを探ってみたい。
Heinrich Schütz
ハインリヒ シュッツ 1585年~1672年
ドイツの宗教音楽史上、最も重要な作曲家。当時のイタリアの作曲家ガブリエリやモンテヴェルディらに学び、ドイツ語のテキストによる宗教曲を多く生み出した。彼の作品の特徴はマドリガル様式(世俗的な詩が多声部で歌で歌われる)や二重合唱(合唱団を二群に分ける)様、それに協奏的様式(合唱とソリスト群の交互の演奏)等が挙げられる。またBachに連なる通奏低音(Basso Continuo)の演奏スタイルをドイツにもたらしている。
言葉を音楽の中心に据えたドイツ的音楽姿勢の原点がここにあり、言葉が持つ意味や感情、情念等を音楽で描くという基本理念がドイツバロック全体を貫いている。
Geistlche Chor-Musik swv391
Selig sind die Toten, die in dem Herrn sterben
主のみもとで死ぬのは幸いである
この文章はSelig sind die Totenとdie in dem Herrn sterbenのそれぞれ意味のまとまりがあるグループで構成されている。それぞれのグループ内でのアクセントがある単語はTotenとHerrenである。前半の文で本来の語順はDie Toten sind seligであるが、seligが文頭にあるので、長い音やハーモニーで強調されと言う解釈もできる。 音楽的なメロディーの流れは、アクセントのある単語に目指して(向かって)流れて行く。die Totenやin dem Herrnの冠詞dieや前置詞 のinは、Toten やHerrnにつながる様に歌われる。
Geistlche Chor-Musik swv388
Das ist je gewißlich wahr und ein teuer wertes Wort,
これは確かに真実で価値ある言葉である
この文章全体のアクセントは最後のWortにある。冒頭のDasからの全ての単語はWortを目指して歌い進んで行く。
Johann Sebastian Bach
ヨハン ゼバスチャン バッハ 1685年~1750年
シュッツの言葉と音楽の関係をさらに密接にし、言葉の概念を音型象徴やハーモニーで多彩、かつ繊細に描いている。200曲を超えるカンタータやミサ、受難曲それにコラールはドイツバロックの最高峰である。聖書の中で言葉によって表現される人間のドラマ、精神世界、揺るぎない信仰心は、彼の音楽により鮮明に深く描かれている。彼の作品は後世の全ての作曲家の宗教作品に影響を与えている。
Mottete “Jesu,meine Freude”
①Jesu, meine Freude, ②meines Herzens Weide, ③Jesu, meine Zier,
①イエスよ、わが喜び ②心の牧草地(憩い) ③イエスよ、私の宝
これは文章と言うより、動詞がないのでJesuに対する呼びかけである。
三つの単語グループの最後の名詞(Freude,Weide Zier)がJesuと同格で、意味上のアクセントが置かれる。二番目グループの本来の語順はWeide meines HerzensであるがWeideを後置することでアクセントをここに置いている。
außer dir soll mir auf Erden nichts sonst Liebers werden
地上であなた以外に愛する人はいません
nichtsを強調することは、それ以降の文章全体の内容を否定する役目を果たすことになる。従ってnichtsの流れは最後まで届くように歌う。
Felix Mendelssohn Bartholdy
フェリックス メンデルスゾーン バーソルディ
1809年~1847年
アカペラの宗教作品は数多くある。彼のスタイルは先人達(Schütz、Bach)伝統的な作曲技法の延長線上で、彼独自の透明感のあるハーモニーと流動的な美しいしいメロディーが展開される。Bachの蘇演にも力を注いだ。
Psalm 100
Jauchzet dem Herrn, alle Welt! Dienet dem Herrn mit Freuden,
全地よ主を歓呼せよ!喜びをもって主に仕えよ
Mendelssohnはこの詩篇に2曲作曲している。詩の前半で強調できる言葉はHerrn とWeltである。WoO28はWeltに向かって音域が上昇し、和声的にも光が世界に充ち溢れる様子が描かれている。一方Op69-2は旋律的頂点をHerrnに持って行っている。Mendelssohnはこの詩を、2つの違った音楽的解釈で強調しているのが興味深い。 後半のDienet~はFreudenに向かって加速度的な流れが働いている。
Drei Psalmen op.78-2
Richte mich, Gott, /und führe meine Sache /wider das unheilige Volk,
神よ、私を正しく裁き 無信心者に対してわたしの訴えを弁護し
初めの目標点はGottである。und以降はSacheに向かうラインとVolkまでつながるラインが存在する。
Johannes Brahms
ヨハネス ブラームス 1833年~1897年
ロマン派の作曲家にとって宗教的な感情、高揚と浄化を創作の源泉とするなら、彼の特徴である半音階を多く含んだ旋律、転調の効果、ハーモニーの音響的な密度の濃淡でその精神世界を表現している。実用的な典礼音楽の用途を超え、苦悩と解放、憧れ、畏れ、驚き等、繊細な音の扱いと卓越した和声技法でその内面の真実を浮かび上がらせている。
Motteten op.74-1
Warum /ist das Licht gegeben/ dem Mühseligen,
なぜ苦しむ人に光が与えられるのか
主語はdas Licht、gegebenは過去分詞でなく形容詞の述語的用法。/ は意味をなすグループの区切り。Brahmsは第二グループで音程の揺れ幅が大きくし、ヨブの苦悩を表わしている。文末のMühseligenに文全体のアクセントが置かれ、この言葉をBrahmsは、< >で浮かび上がらせている。
Josef Rheinberger
ヨーゼフ ラインベルガー 1839年~1901年
ロマン派の時代にあってルネッサンスや古典派の和声の書法を踏襲している。特にBachやMozartを規範としている。彼の曲はハーモーの響きは澄み渡り、純度が高い。歌謡性にあふれたメロディーの中に、美しき宗教的陶酔を味わわせてくれる。
Mess in Es op.109 “Cantus Missae”
Rheinbergerのミサの中で最も有名な曲で、ローマ法王レオ13世に献呈された。2群の合唱団で歌われる。彼の信条は、本来ミサは信仰の対象として歌われるべきで、言葉(ラテン語の歌詞)が聴き取り易く、しかも音楽の要素(特にメロディーとハーモニー)は宗教的な啓示や啓蒙を聴く人に与えるべきだと言う信念がある。ラテン語の聖句に合わせハーモニーの音色を変え、さらに2つの合唱団が交唱することで、言葉の背景となる情景を立体的で空間的な響きで創造している。
以上考察してきた様に、文章の構造それ自体が音楽構成の大きな要素になっており、 生きたフレーズで歌うことを可能にしているのは、言葉達の有機的なつながりそのものであることが実感できる。その文章が意味しているもの、感情、心理、比喩、背景などが音楽的な演奏の原点であり、言葉以外の要素で歌うことは不可能である。
Vocal Consort Tokyo 音楽監督 四野見 和敏